長谷部国重
某月某日――
マンションの前にある集積所には
燃えないゴミと粗大ごみが積まれて
普段よりもスペースに余裕がない様子
ガスコンロ、ガスホースが集積所内へ
その横には、粗大ごみ回収用のシールを貼られて
3ドアの冷蔵庫、ダイニングチェア、布団一組等
賑やかな有様になっている。/
長船光忠
眞白くんと話し終わった後、になるのかな。
最近は前のようには頻繁に長谷部くんと顔を合わせなくなってしまって、
でも合鍵だけはなぜか返そうとしても受け取ってくれなくて、
いつでも家に行こうと思えば行けるんだけど、結局一度も使ったことはない。
たまに会いたいなあって思ってマンションまで行ったりもするけど、
行っても鍵を使ってまで中に入る勇気が出なくて、
道路から長谷部くんの部屋の窓を見上げて満足して帰るばっかりだ。
今日もそうして長谷部くんちまで足を向けてみたら、
見覚えのある家財道具が大量にごみに出されていたのを見つけてしまった。
長谷部国重
一人暮らしにしてはそこそこ広い家の中
ガステーブルを撤去し、
己の背丈近くもあった冷蔵庫を撤去し、
キッチン周りが随分広さを増したように思える。
元々、己が使う物など電子レンジと電気ケトル位の物だ。
水回りを拭き終えて、一息つく。
瀬戸物は未だ回収日には遠い為、
洗って乾かして、紙袋へ重ねて入れて隅へ置いて。
己とは異なるサイズの服も、回収日まで袋に纏めて。
――幼児サイズの彼是は、
あの日から、綺麗な箱へ入れて仕舞い込んである儘。
「……新しい物を、買わないとな」
1ドアでも冷蔵庫は必要だろうと思えども
今から新たな家財を増やすのが如何にも億劫で
一脚きりになったダイニングチェアに腰を下ろして、
ぼんやり、少し冷蔵庫焼けした壁紙を見詰めている。
長船光忠
ひとしきり驚いた後に冷静に考え直した。
随分狭い部屋に引っ越しでもする気なのか、
コンロや冷蔵庫なんかはともかく、布団なんてまだ使えるのに、
と不思議に思って、……それからいろんな不安が思い浮かぶ。
今更僕が口を出してもいいのか、
まったくの勘違いなら僕が恥をかくだけだけれど、
それで長谷部くんの触れられたくはない、触れてはいけない部分に触れてしまって、
二度と取り返しのつかない関係になったら、なんて何度も尻込みして、
けれど勇気を出してスマホを手に取った。
長谷部くんに電話を掛けるために、
緊張で手が震えたのなんか初めてだった。/
長谷部国重
まだ、処分出来るものが、ある気がする。
一度手を付けて仕舞えば、勢いが出る
掃除は勢いと思い切りが大事だ。
緩慢に腰を上げようとした辺りでスマホが震えている事に気付き、
テーブル上に出していた其れを手に、画面を確認すれば
軽く目を瞠ってから、画面をスライドして応答し
「―――はい。」
何時も通りの短い応答の声。/
長船光忠
「……もしもし、長谷部くん?ごめんね、急に電話なんか掛けて」
やっぱり迷惑かもしれない、切ってしまおうか、とか、
もしかしたら出てくれないんじゃないか、とか考えいたら、
唐突にコール音が途切れて声が聞こえた。
短い返事にどうしようもなく安堵した。
なんでか泣きそうになって、へら、と作り笑いで誤魔化してみる。
「あの、いま忙しいかな。……少し、話がしたくて」/
長谷部国重
「いや、……どうした?」
近頃は疎遠になりつつあった声が少し懐かしく感じる。
声を聞くと、安堵するのは条件反射にも近い。
「忙しい、訳ではないが。珍しいな。
何かあったか?」
浮かし掛けていた腰をチェアに下ろして
テーブルの上へ腕を乗せ、話を聞く姿勢を取る。/
長船光忠
「実はね、いま長谷部くんちのすぐそばまで来ててさ。
ええと……あの、……家にいるなら、上がらせてもらってもいいかな?」
見覚えのある家財と長谷部くんの部屋の窓とを何度も視線を往復させて、
電話を掛けた理由を説明すべきか迷って、やめた。
適当な説明ではぐらかされたら、それが嘘か本当かなんてともかく、
なんでもなかったと説得されたふりをしないといけなくなる。
…それから、顔が見たかったのも、ある。/
長谷部国重
「―――何かあったのか?
ああ、…別段、構わないが
……困り事なら言ってくれ、何でも力になる。」
もう、此処に来る事など無いと思っていただけに
珍しさを重ねられたようで、思わず改めて尋ねた。
勿論と快諾したは良いが、
スマホを耳に宛がう儘、部屋を見渡して
「すまない、掃除をしていたから持成しの用意はないんだが…
其れでも良ければ、上がってきてくれ。」 /
長船光忠
「ああいや、そんな。深刻な話じゃないから大丈夫。
……っ、そう、だったの。分かった、じゃあ、そっち向かうね」
真っ先にこちらを心配してくれる言葉につい少しだけ嬉しくなってしまって、
けれど今の状況でへらへらできるわけもない。
……掃除、というにはちょっと、やりすぎなんじゃないかな、これ。/
長谷部国重
「そうか、……なら、良かった。
相変わらず何もないからな、必要であれば買って来てくれ」
下には売り切れの多さが難点の自販機もある。
モニタ付きインターホンはあれど
オートロックまではない程度のセキュリティ
通話を切ってから、掃除用具を簡単に片づけて
一度玄関へ出て、チェーンを外しておく。/
長船光忠
突然お邪魔することになったはいいけれども、
その言葉に手土産一つ持ってきていないことに気が付いて。
……いや、いまさら手土産が必要な関係ではないよなと思いながらも、
少し緊張を落ち着けるために近くのコンビニに足を向けた。
何の覚悟かも分からない覚悟を決めて、コンビニスイーツが入った袋を下げて、
電話を掛けるとき以上に緊張に震える指先でインターホンを押す。/
長谷部国重
「……そういや、冷蔵庫の事言い忘れたな」
色々買い込んで来て貰っても
仕舞う場所がないのだと思い当たった時にはもう遅く。
何も乗っていないテーブルの上を拭いたり、
電子レンジを拭いたりと手持ち無沙汰を清掃へ変えて
いよいよ磨く物も無くなり、手を洗った頃に
漸く、来客を知らせる音が響いた。
「―――はい。」
ピ、と通話ボタンを押せば
何処か硬い表情の相手が見えて
「今開ける。其処で待っててくれ」
応答終了ボタンを押し、玄関へ。
内側から開錠し、扉をゆっくりと大きく開き
「……どうぞ、上がってくれ」
今迄、何と迎え入れていただろうかと、
咄嗟の挨拶を出せずに少し空いた。
来客用のスリッパは元々無く、己は先に立って
ダイニングを超えたリビングスペースへと進む。
未だ、ソファを処分する前で良かった。/
長船光忠
久しぶりに見た顔は、少し緊張しているようにも、戸惑っているようにも見えた。
僕が勝手にそう思いたいだけなのかもしれないけれど。
「お邪魔するね……本当にごめんね、急に押し掛けちゃって。
あの、お菓子持ってきたから、良かったら。
……最近ちゃんと食べてる?学校、忙しいん、じゃ……」
以前は気にもならなかった、むしろ心地よかったはずの沈黙がどうにも耐え難くて、
下手くそに明るい声を出して、無難な言葉を口にする。
けれども、それもリビングに案内されて、
掃除した、というその部屋を目にして、言葉が詰まってしまった。
なにか、問おうとしても、言葉が上手く出なくて。
長船光忠
「……どうしたの、これ」
作り笑いで問うたはずの声が、どうしようもなく震えた。/
長谷部国重
「いや、いつでも来てくれて構わない。
――…何を買って来てくれたんだ?」
折角買い込んで来てもらった物を無駄にしてしまう事はなさそうだと、手に提げている袋のサイズに少し安心する。
いつも掃除はしているが、廊下も何処も彼処も
今は特に埃一つないような中
リビングの隅、変わらぬ位置に鎮座するソファへ案内する。
「……不用品の処分と、掃除をな。
すまない、椅子も出して仕舞ったから、ソファで良いか?」
以前は、二人で向かい合って座ったダイニングテーブルには
一脚の椅子が置かれているだけで。
収納を開けて、折り畳みの小振りなテーブルを出してきては
3人掛けのソファ前へと設置する。/
長船光忠
ああ、とか、うん、とか、呆然とした返事しかできなくて、
広い部屋の真ん中に、寂し気に小さなテーブルが広げられるのをぼんやりと見下ろしていた。
アキラくんと3人で過ごした数日間をふいに思い出して、
そのときとは比べ物にならないような寒々しさを余計に感じてしまう。
「……本当に、たくさん、捨てたんだね。……引っ越しでもするの?」/
長谷部国重
引っ越し
その単語に一度動きを止めて、ああ、と声を零す。
「……そうか、引っ越し。
その予定は無かったが……其れも良いかもな」
そうだ
何もかも染付いた部屋を出て、
新しくて小さな部屋へ住み替える頭は、不思議と無かった。
「未だ、ソファは出していなくて良かった。
―――座らないのか?」
呆然と佇む姿に、己はソファの奥側へと座り
入口から見て手前側のスペースを二人分程あけて
相手が落ち着くのを待つ、姿勢。/
長船光忠
聞きたくないことを、聞いてはいけないことを、聞いてしまったような気がした。
これだけ物を処分しておいて、このがらんとした部屋でたったひとりで暮らすつもりだったなんて。
「……ああ、ごめん……ありがとう」
まだ、なんて聞いてしまったせいで返事に妙な間が開いて、
それからのろのろと、中途半端なスペースを開けて、
近いうちに処分されてしまうらしいソファに腰を掛けた。
何をどう聞いたらいいかも分からなくて、
迷いながら名前を呼んだ。
声が詰まる。
「長谷部くん……その、なにか……あった?」/
長谷部国重
玄関へ、鍵は掛けるともチェーンは施さなかった
鍵も内側から容易く開く物だが、施錠すべきでは無かっただろうか
奥側へ座ったのは無意識
入口側に座って貰う事で、いつでも出ていけるように。
ぎこちない声、硬い表情
また何か、傷を付けて仕舞っただろうかと薄ら眉尻を下げ
「そういえば、コンビニで何――― 」
買って来てくれたんだ、と改めて問う声が途切れる。
なにか。
あったとも、なかったとも言い難い重複の記憶。
幾つも両立する頭蓋の中身の信憑性の薄さ。
どれが真実でどれが夢で何が本当でどれが嘘なのか
考えても物証が幾つか重なっていて
キーケースへ付けたした古びた鍵を
ポケット越しに無意識に触れ
「……、悪い 夢を見た」
躊躇いの間を挟んで、ほつ、と落としたのは
その程度のと一笑されてもおかしくない事実。/
長船光忠
長谷部くんの小さな声はひどく弱々しく、苦しそうに、怯えるようにも聞こえて、
縋るように手が動いたのを見て、
自分も見た奇妙な悲しい夢を思い出して、
その言葉を嘘だと思うはずもなかった。
……そもそも、長谷部くんの言葉を疑おうと思ったことなどこれまで一度もないし、これからもきっとない。
またたったひとりで苦しめてしまった、と悲しさと怒りすら覚えて、
けれどなるべく柔らかい声色で、と緊張する喉を叱咤する。
「悪い夢、か。……それ、どんな夢だったの」/
長谷部国重
あんな、悪夢を
己の外へ持ち出すべきではないと――わかっているのに。
一度零して仕舞った言葉を取り消す事は出来ず
柔い、声に 何かの赦しを得た気にすら、なる
「……、知らない工場で、目が覚めて
ひとを、作る…ひとがたを、作る場所で」
夢だというのに
いつまで経っても、鮮明にある記憶と
現で手に入れた覚えのない、小さな古びた鍵
「一人の、男を目覚めさせて
何も知らないそいつに、感情を一つ、一つ教えて
教えるのも、体験を伴うもので」
嗚呼
夢の 話など
益体も無い 不快にさせるだけの悪夢など
―――知らずの内に血の気が失せてゆく。
視線はソファの布地へ落ちて
一つ一つの記憶を丁寧になぞるような
そう、まるで実体験の記憶を思い返すような
「喜怒哀楽に、愛、全て教えて
どんどん吸収し、人らしくなったそいつを 」
言葉が途切れ
からからに乾涸びた咽喉をひとつ鳴らす
「そいつを」
嗚呼
酷いことを おのれは したのだと
惨いことを おのれは したのですと
どうやって、懺悔すれば、いい /
長船光忠
触れたくない記憶にぎこちなく触れるように細い声で絞り出されていく言葉は、
僕も同じように、夢で見たものとよく似た世界を描いていた。
がらくただらけの工場、人の作り方、僕より背の高い男の子。
人によく似たヒューマノイドに喜怒哀楽、そして愛をぎこちないながらも教えて、覚えさせて、それから。
同じ夢を……いや、体験を、していたことに、声も出ないほど驚いて、
そして徐々に震えだした声で紡がれるその記憶が、どんな結末に辿り着いたかを思い出して。
おそるおそる長谷部くんの表情を覗き込めば、ひどく青褪めていて、
ああそうか、と、悲しくも合点がいってしまった。
手が伸びたのは、無意識だった。
縋るように何かを握っていたつめたい手に触れて、
それ以上言葉を紡がせたくなくて、焦って声を出したらひどく上ずってしまった。
「眠らせた。……だよね、?」
長谷部国重
珍しくも、悪夢だと
単なる、わるいゆめだと思おうとしていた其等は
言葉にしてなぞる事で 酷い現実味を伴った。
覗きこんでくる顔は見れぬとも
さらりと落ちる黒髪は視界に入った
其の手が己の膚に触れた途端
弾かれたように、己の手を退き、離していた
「ちがう」
眠らせた
眠らせたのではない
眠らせたなんてものではない
「ころしたんだ」
「殺した、んだ 俺が」
「起動して意識を覚まさせて」
「喜びも怒りも悲しみも楽しさも教え込んで」
「言葉一つ一つすら教えて愛まで教えて」
「ころした んだ、おれが、この手で」
そう
己の意思で、確りと意識を伴って判断を下して
火葬炉へ納めたのだ
「―――――ころしたんだ! 俺が!!」
「お前を殺し掛けた俺が、彼奴を殺した俺が
今度はこの手で選んで名を呼んで育てて共に過ごして
自分の為に、自分が幸せになるために ッ 」
嗚呼
冷静に
冷静さを取り戻さなければと、頭の隅で己の声がする。
乾涸びた咽喉で無理矢理絞り出した声は聴き難いものだろう
見開いたままの眼は血走って眼球も乾いて
涙は出ない
出す資格は持ち合わせていない
ただ何かが耐え難くてソファの上に身を丸めて座り込む /
長船光忠
僅かに触れた手が、弾かれたように逃げ出して、
選んだはずの言葉も間違えてしまったのだと悟った。
眠る、と優しい青年のヒューマノイドが言ったのは、
僕を傷つけないためでしかないと分かっていたはずなのに。
炎に巻かれ、焼け落ちて、金属が溶け出して、
熱い、たすけて、と慟哭した声は今でも鮮明に思い出せるのに。
ころしたんだ、と君は痛いほど引き攣れた声で叫んだ声が、ひどく、痛かった。
「ああ……そう、だね。……殺したんだ。……僕も、あの子を」
ぎゅう、と丸まった背中に手を伸ばそうとして、
けれど、ふれることはできなかった。
ひっこめた手を胸に触れさせて、目をつむる。
「君はずっと、なんども、こんな痛みを増やして、生きてたんだね」
「……くるしい、ねえ……」/
長谷部国重
僕も
あの子を
己の手を何処にも出したくないと縮まって
逃げている己の耳に、届いた単語
僕『も』
『あの子』を
『殺したんだ』―――確かに、そう聞こえたのだ。
数拍遅れて、勢いよく蒼白の顔を上げる
其処には、痛みに耐えるような姿があって
「 ッ、まさ か」
まさか
まさか、あの悪夢は己だけではなくて
まさか、この優しい心を持つ、此奴にまで
「おま、えも ……お前も、?」
「お前も、一人で、 ―――――ああ!」
ソファの上で無意識に頭を抱えた
伸ばし掛けて震えて躊躇った手を
其れでも、其の肩口へ伸ばして触れて、掴もうと
「お前、…お前ひとりで、苦しんだのか
俺、俺がいたら、かわって…かわってやれたのに」
「すまない、お前には、
お前にだけは、味わってほしくなかった のに」
己の手が害する手だと自覚を以て遠ざかろうとしていた
それなのに、どうしても我慢が出来ず
大事なその人を抱き締める事が我慢できずに
腕を 伸ばしてしまった。
「すま、ない。 苦しんでほしく、…ないのに、
余計な、話をした…………」
夢だろうとも
単なる悪夢だと言えるものだろうとも
この心優しい男には、味わってほしくなかった
抱き締める事がかなっていたなら、腕に力を籠めて
「苦しかったろ、……あんな」
本当に、同じ悪夢であるのかは知れない
本当に、何処まで同じものかは知れないけれど
大事な誰かを、ころしたのは、同じなのだと知れてしまった。
ぎこちなく、背を撫でようと手を動かして。 /
長船光忠
さきほどは僕から逃げ出していった手が、あまりに不器用に僕を抱きしめたものだから、何よりも驚いて、身を強張らせて。
耳元で聞こえた声は絞り出すようで、痛々しくて、また言葉を誤ってしまったと知った。
痛いのは本当だ。
けれど、僕よりもずっと苦しんできたはずの君が、どうして僕よりも僕の痛みを痛がるのか。
「苦しかった、けど、でも……僕は生きてる、から。
苦しむのは、……あの子を殺して、生きてる僕の、責任だから。……当然だ」
へたくそに背中を撫でる手がとても、やさしくて。
あの子をころしたことすら、許されたような気持ちになってしまって、でも、それではいけないのだと分かってる。
かわってやれた、という言葉が、どうしようもなく、突き刺さるようで。
僕に向けた刃を、化物から生まれた少年を殺したことを、
誰よりも許せないまま痛みを抱えているのは君のくせに。
「長谷部くんは、ずっと、こんなに……ううん、もっと、もっと、苦しかったんだろう」
「どうして、ずっとひとりで……。ごめん、ね、はせべくん、」/
長谷部国重
己の手が抱き締めた事で、体が強張るのを感じても
どうしても、エゴでも抱き締めてしまいたかった
「うん、… そうだな、けれど
苦しかった、ろ……お前に、そんな」
「そんな、おもいなど …一片たりとも、
させたくは、無かったんだ……俺は……」
夢の中
たかが夢だろうとも、
出来る事なら介入して、かわりたかったのだと
紡ぐ声はみっともなく震えて落ちる。
恐々と背を撫でる手を、一度躊躇って止めてから
思い切ってその後頭部へと移して、頭を撫ぜる
「……痛みから、傷から何からも、
遠ざけたいのに、……なかなか、うまくはいかないな……」
すまない、と力無く落とす声は空気に融ける薄さで
「―――……俺は、もう何度も、繰り返したから、今更だ。
お前が、… お前が隣に、いてくれるなら、
なんだって、……俺は、出来る。」
隣に
隣にいてくれるなら、何だって出来る気がするんだ。
隣でわらっていてくれれば、それだけで強く立てた。
けれど、
「お前に、……隣に、居て欲しい んだ、
もう、あんな事は言わない、 望みもしない」
「けれど、俺は、きっと
いつか……お前をも、殺してしまう」
一緒に居たいのに
その笑顔を壊すのが己であるなら
その生命を散らすのが己であるなら
「――――……お前を、傷付けたくないのに」
一緒に居たいんだ
どうしたらいい
振り絞った声は、音になったか知れない。
頭を撫でていた筈の手は
いつの間にか頭蓋を掻き抱いていた。 /
長船光忠
抱きしめられるって、こんなに安心することだったっけ。
いまなら許してくれるかしらと同じように背中に手を這わせてみる。
暖かい、生きている体温が、たまらなく優しくて、心地良い。
「やさしいね、君は。でも僕は平気、これは、僕の、僕だけが持つべき苦しみだから。……一緒に苦しんでくれて、ありがとう」
髪に指を差し入れられる感覚がひどく懐かしくて、
こんなときだというのに、下手くそに頭を撫でられて、少しだけ笑みがこぼれてしまった。
泣いてしまいそうなほど震えた声は、弱々しくて、でも僕を案じているのが分かって、嬉しかったから。
「僕だって君と、同じなんだよ。
君が傷ついたときに、何も知らないまま、のうのうと生きていたくはない。
僕の苦しみを君が一緒に苦しんで、かわりたいって言ってくれるように、
僕だって君の痛みを、苦しみを、少しでも軽くしたい」
僕の声がどれほど君に届くか、自信なんてなくて、
それでも、伝わってほしい。
肩口にこぼれた言葉が、縋るようで、助けを求めるようですらあって、
それが僕にだけ聞こえたこと、どれほど嬉しかったことか。
「殺さないよ、大丈夫。殺させない。……僕のせいで君が傷つくなんて、もうひとつも許さない」
君がしてくれたのと同じように、柔らかい髪に指を差し入れて、
精一杯に抱きしめる。
絞り出された小さな声が、どうしようもなく愛しくて。
「だから、一緒に生きよう」
長谷部国重
そっと回された腕の温かさに
離れなくてはという思考より先に、安堵を得てしまった。
鼓動があり、脈打ち確かに此処に 生きているという安心感。
平気だと、優しく笑う顔に、眉尻が下がる
ありがとう、なんて
俺は何も、出来ない儘でいたのにと
そっと、頭皮に触れるように指先を沈め
其処にも薄い脈拍を感じて、ああと声にならぬ息をつく
確かに、此処に、生きているのだと
其れだけで 途方に暮れていた心が落ち着きを得る
「……、何でだ
俺の苦しみ、なんてお前が背負う物じゃ、ないだろ……」
「俺は、お前に傷付いて なんて、
だいじに、したくて ……大事にしたいんだ、なのに 」
毛筋程の傷すらつけたくなくて
苦しませたくなくて、それが
大事にする事だと、信じていた
けれど
俺を案じる声も、苦しみを分かち合いたいと紡ぐ声も
俺を大事に 想ってくれているのだと
ああ、と
乾涸びていた目がじわりと熱を帯びて塗れる
「ッ、――大事に、したい んだ。
お前が、光忠が、大切で …、うしないたくない」
「痛みも、… 苦しみも、お前に与える事になっても
なあ、……それでも、居て 欲しい 」
「お願いだから、
俺が、お前を害することがあったら、
頼むから ッ、…止めて、ほしい、
もう、…もうお前を害したく、ない 殺したくない……ッ」
この手で刺したんだ
己の手で殺したんだ
あの日のあれが夢だったとしても
あの日の俺は確かにお前をころしたんだ
「 ッ、いっしょに、 居てくれ……」
傷も苦しみも含めて全て
分け与える事が下手糞でも
掻き抱いた頭蓋を其の儘、何度も頷いて
ぼたぼたと制御できない雫が男の髪を服を濡らしてしまっても
子供の様な頑なさで腕を解けやしなかった /
長船光忠
「
震えた声に少しばかり驚いてしまって、けれどつられて鼻の奥がツンと痛んで、
一生懸命に訴えてくれる声を嗚咽に途切れさせる長谷部くんのことを笑えなくなってしまう。
「君を失いたくないのは、僕だって同じだ。
少しくらい痛くても、苦しくても、
君と分け合うものなら、きっと平気だよ」
懇願されるような声に、怯えるような声に、
もうずいぶん遠くに思えるあの日の約束を思い出す。
もう二度と、僕に刃を向ける苦しみなど味合わせまいと、決意したはずだったのに。
「分かってる、殺させやしない。
……そうやって、前にも約束したのにね。
不安にさせた、本当にごめん」
嗚咽に揺れる背中を撫でさすって、その暖かさに、手放すにはあまりに惜しい安堵を覚えてしまった。
僕を求める言葉が、嬉しかった。
力いっぱいに抱きしめられて、雫の落ちた場所は冷たくて、
その全部がどうしようもなく、いとおしかった。
「ああ、僕も、……僕も、君と一緒に居たい」」/
長谷部国重
みっともなく、涙を零して咽喉が引き攣れても
それでも想いを伝えて抱き締める事を優先した
「……俺の、痛みを
お前が、分け合う、って いうなら、
もう少し、……慎重に、ならないと な」
何も考えずに走るだけでは
屹度、必要以上に傷付いて傷付けるのだろう
すん、と鼻を小さく鳴らし は、と震える息を吐いて。
「だって、 お前、
なんでも差し出して、ゆるすから ……
―――俺を、甘やかしてばかり、いないでくれ」
「苦しい、ことも、……辛さも分け合う、なら
お前の傷だって苦しみだって、俺は、知りたい」
「俺も、……渡すように、するから」
過日の遣り取りを思い出して
また、甘えるようなことを紡いでしまったと小さく顔を顰める。
視界がぐしゃぐしゃに歪む中、
背を撫ぜる掌の温かさに、体の力が抜けてゆく。
抱締めていた頭蓋を解放しても
掌はまた後頭部へ添わせるように指を差し入れて
近しい距離で、蜜色を見詰め
眉尻を下げた、情けない顔を繕うことも出来ぬ儘
「……俺と、 一緒に、暮らしてほしい」
「無理なら、せめて 近くに居たい んだが、
……――駄目か……?」
ずっと
ずっと、どうすれば
物理的にも傍に居られるか考えていた
己から壊して距離を取って離れた癖に
この先も共に居て欲しい想いが止められずに
思わずと向けてしまった言葉に、更に重ねて
うかがう様な視線が向く。 /
長船光忠
「だって、君に甘えられるのは嬉しいからさ。
なんでもぜんぶ、許してしまいたかった。
……でも、それじゃきっと、君のためにはならないね」
甘やかして、ゆるして、差し出して、それで満足してばかりだった。
懇願する声にそう答えて、ぼくのためにも、と小さく付け足した。
君が苦しめば僕も苦しくて、僕が痛ければ君も痛いのだから。
「勿論。
……でも、苦しいことだけじゃないよ。
嬉しいことも、哀しいことも、どうでもいいことも、全部。
泣くときも笑うときも苦しむときも、一緒がいい」
じいっと覗き込まれるのは、当然ながら左目ばかりで、
今度会う時は、ほんの数人しか知らない僕の右目の色も見てくれるかな、などと考えて。
見返した目元は真っ赤に腫れて、ぐずぐずに潤んで、眉はハの字の形を描いていて。
それでも鋭く怜悧そうな藤色が、美しい。
「ああ。今度こそ、……ね」
情けない顔に手を伸ばして、指先で濡れた瞳をぬぐって、
きっと僕も君以上に情けない顔で、目を細める。
「一緒に暮らすなら、まずは、
……捨てたもの、拾いに行こう?」/
長谷部国重
「赦されるのは、心地が良いが
……なんでも俺を赦すばかりのお前じゃあ、無いだろ。
俺は、… お前と一緒に、歩いていたいよ」
過日の列車で
己を永劫に赦すばかりだっただろう彼を思い出す。
眼の前の男は、確かに違う筈なのに
寄りかかって求めて貪って、変質させてしまったのだろうか。
「ん、……お前に、苦しみばかりを分け与える心算は、ない。
沢山、分かち合いたいんだ、… なんでも、色々」
見詰めた先の蜜色を、美しいと思うと同時
秘された色も、愛おしいと
顔を寄せて、前髪越しに白い眼帯へ唇を淡く触れさせ
離れてから、我に返ったようにぎこちなく視線を逸らす。
目尻に触れた指先が、涙を払う動きに視線を戻し
ぐしゃぐしゃの顔同士、ちからのない笑いに目を細めて
「……いっそ、お前が使いやすい物に買い替えるか」
共に暮らすなら、家電が、家具が重複する事を思えば
いっその事、と
伽藍堂の部屋に詰め込むのも、新しい部屋に行くのも良い。
両の手で、頭を挟むように触れては
わしゃりと、態と乱すような撫で方をしてから漸く解放し。/
長船光忠
「そうだね、たくさん、君の話しが聞きたい。
……僕も、君に聞いてもらいたい。
そこから、だね」
口づけるように触れられるなどと思いもしなくて、びくりと思わず肩を揺らしてしまう。
当の本人のくせに気まずそうに視線を逸らして、耳の先が少し赤いことに気が付いてしまった。
「使える物捨てるの、勿体ないよ。
長谷部くんちのものは、十分使い慣れてるしね」
いささか雑な撫でられ方も随分久しぶりすぎて、
されるがままに肩をすくめて目をぎゅっとつむった。
こうされるのは嫌いじゃないけど、どうしても、頬が熱くなってしまった。/
長谷部国重
「……そうだな、沢山話をしよう。
お前の眼で見た物、感じた物、全部知りたいし、
俺も、お前に沢山、聞いてもらいたい」
衝動的に触れてしまった事で、
怯えさせて、しまっただろうかと気まずげな視線がそろりと戻る。
すまない、と小さく落とした言葉と、羞恥が釣り合わない。
「それは、…そうかもしれないが
また業者を入れないと、大変じゃないか?」
流石に大型すぎる物があったため
業者を呼付けて運び出した事を告げるも
一人ではなく二人でなら、どうにかなる気もした。
一回やってみるか、と 今は空間ばかりの部屋を一瞥する。
「……やっぱりお前の頭、撫でるの好きだな
はは、……男前がぐしゃぐしゃだ、 」
指を頭蓋へ添わせるように
深く差し入れては、好き勝手に髪を搔き乱すような雑な手付き。
一度解放した癖、
再び指を差し入れては、今度は髪を撫でつけるように緩く撫ぜ
「なあ、
……触れられるのが嫌なら、ちゃんと嫌がれよ」
頼むから、とは柔く苦く落とすわらいを含み
硬く目を閉じて、赤く染まり身を強張らせる癖、
逃げる素振りの無い様子に 顔を寄せる。
「俺は、お前に触れていたいから
厭なら、赦さずに 逃げるなり、拒むなり してくれ」
そうでもされないと、屹度手を伸ばしてしまうからと
ひそりと潜めた声で紡いでは、
最後にと一撫でしてから、指を引き抜いて。/
長船光忠
驚いて力を込めてしまった目をゆるゆると開けば、
覗き込んでくる瞳は不安げにも、怪訝げにも見えて、また驚いてしまって。
「嫌なんじゃないよ。むしろ……触れられるの、好きだから、困るんだよなあ……」
もっと触れてほしい、なんてのは流石に、今はそんな関係でもないのだからと気が咎めて、
けれど未練がましく、つい離れていく手を目で追ってしまった。
「嫌なら、ちゃんと言うよ。
……君にされて嫌なんてこと、ないとは思うけど。
怖がらないで。欲しがってるのは、君ばかりじゃないから」
僕もだから、と付け足しながら、なんてことを言っているのかと自覚して、
語尾はすぼんでしまうだろうな。/
長谷部国重
「……お前、赦してばかりだと
俺は直ぐ調子に乗る事、知ってるだろうに」
重ねられる言葉達に、瞬時動きを止めるが
眉尻を下げ、途方に暮れたような色を滲ませ
其れでも、再び伸ばして仕舞う手ばかりが素直だ。
「ちゃんと、… 本当に、ちゃんと言ってくれ、
言い難いなら、行動でも。
俺はいつだって、お前に与えられてばかりだから
せめて、意に添わない事は避けたいと…思っては、いるんだ」
欲しがっているのは、の響に、
一瞬だけ目を瞠って仕舞うけれど、
伸ばした手は、指は蟀谷から頭皮へ柔い青黒の髪が生える際を
そろりと撫ぜ、差し入れてしまおうとして
「……、俺と、お前しかいない」
外さないのか、と端的に紡ぎ
指先が、白い眼帯の紐を薄く撫ぜる。/